元は改鈴谷型重巡洋艦として計画されていたが途中で工事は中止され、1943年に改めて軽空母として建造を進められることが決定した。しかし工事は諸々の事情で遅れに遅れ、結果完成率80%というところで工事はまたも中止。終戦まで伊吹の船体は放置され、非業の空母となってしまった。