弘化2(1845)~大正7(1918) 武蔵国多摩郡本宿村 多摩の名主の長男。佐藤彦五郎の道場で天然理心流を学ぶ。文久3年、単独で上洛し入隊を志願するが断られ帰郷。しかし熱意は消えず鳥羽伏見戦争後、江戸へ戻った近藤達を出迎え再び入隊を志願。これが認められ、仙台まで従軍した。維新後は静岡、愛知等を転々とした後、多摩に戻り米屋を営む。 「新選組松本捨助、呼ばれもしねえが推参ーーー!!!」 (文:じゅれいく/絵:紡木)