文化10(1813)~明治7(1874) 武蔵国江戸 幕臣の子。幼い頃に仏門に入り、甲斐国全福寺の住職となる。甲陽鎮撫隊が現地案内の協力を依頼した際、56歳にして還俗し入隊。器械方に就き仙台まで従軍した。維新後は一時仏門に戻るが、学校令が発布されると学校を開設し教鞭を取った。 「拙僧に流れる徳川恩顧の血が騒ぐのです。まだまだ若いものには負けませんぞ!」 (文:じゅれいく)