戦後自衛隊が採用したF-1とF-2という名機の設計に携わった俊英。伯父の影響で航空機に興味を持つも、自身は視力の悪さからパイロットになれなかった。 だがそれでも消えない空への憧憬。それならばとばかりに技師として航空機に関わろう。そして、頑丈な航空機を作ろう。 その心の奥底にあるは、人知れず死に、歴史の悲話に消えた一人の隼乗りの姿。二度と、悲話を生まないために。 (出典:桜之荘)